「千歳が滝(せんざいがたき)」周辺手入れ 北蟹谷史跡愛護会
2017.4.15
北蟹谷史跡愛護会は4月14日、源平倶利伽羅合戦の舞台となった地獄谷にある千歳(せんざい)が滝(松尾)周辺の環境整備を行いました。奥地にある滝への一般ルートはなく、今後はルート整備も検討する予定である。
地獄谷は、木曽義仲率いる源氏軍の奇襲「火牛(かぎゅう)の計(けい)」で逃げ場を失った平家軍が落ちたとされる。源平盛衰記には、「その谷の中心に十丈余の岩瀧あり、千歳が瀧といふ」「谷川血を流し、屍骸岡をなせり」などの記述がある。
会員で、ふる里おやべ再発見推進委員会事務局長の松井賢三さん(松尾)が整備を呼び掛け、水口久太郎会長ら役員5人が協力しました。松尾地内の林道終着点から、平家の死体から流れ出た膿(うみ)が名前の由来となっている膿川沿いをさかのぼった。ササをかき分けたり砂防堰堤(えんてい)を避けるため横の崖を通ったりし、約700㍍の距離を40分ほどかけて滝に到着。滝周辺のササを刈り、滝の見える場所にヤエザクラ3本を植えました。
川沿いをさかのぼるルートは険しく、松井さんは「興味のある人が行きやすいよう、倶利伽羅古道から下りるルートの整備も検討したい」と話した。