膿川 (松尾) 2017.10.10 倶利伽羅合戦の際、峠の深い谷底は、降り積もった兵、馬で埋め尽くされ、地獄と化した。「源平盛衰記」には「平家一万八千騎、十余丈の倶利伽羅が谷をぞ馳埋みける」と記されている。おびただしい数の死体から出た血や膿が流れ込んだ小川は、「膿川(うみがわ)」と今日まで呼ばれている。長きにわたって大量の白骨が、散らばったこの谷をいつしか地元の人々は「地獄谷」と称されて今日に至っている。 源平合戦において地獄谷に落ちた夥しい死骸から血膿が流れてきたという伝承による。